【固定記事】 プロフィール①
こんにちは。
【固定記事】 プロフィール② 私のちょっと変わった生い立ちについて (コンプレックスの形成過程と解決方法について)
先日ブログに記述したように、私はコンプレックスがあります。
私は3歳より野球をしておりました。
小学校、中学校共に順風満帆に過ごしてきました。(チームの中心選手的な存在)
高校時代は甲子園の常連校にスポーツ推薦で入学し、華の高校野球ライフが待っていと思っておりました。
しかし、高校三年間での公式戦の出場機会は・・・無しです。orz
人生で初めての挫折を味わいました。
高校野球というものは注目されるが故に、普段の学校生活にも影響しました。
地元の友達、学校のクラスで野球の話をする時に、
「俺、ベンチ外(スタンド)だよ」と言った時の気まずさたるや。。。
かたや、レギュラーの選手のオーラと言うか自信というか、全てが羨ましかったです。
大名行列みたいな。。。女の子の食いつき具合も全然違います。
私の高校では3月には最終学年のベンチ入りメンバーが決まります。
私は春も待たずに戦力外通告を受けた訳です。
練習はもちろんボール拾いと声出しのみ。
練習着はもちろんピカピカです。
家に帰り、きれいな練習着を親に出さないよう、帰宅前に公園であえて汚してから帰っていた事も多々ありました。(笑)
申し訳ない気持ちで一杯でした(笑)
毎日朝の5時前に起きて、お弁当を作って、汚れた練習着を洗濯して。。。
夜はマッサージしてもらったこともありました。
高校野球(学校生活含む)では悔しい思い出しか残っておりません。
このままでは終われないと思い、大学受験を目指します。
大学でも野球を続け、卒業後は野球選手(実業団も含む)になり、皆を見返してやりたいという気持ちでいっぱいでした。
野球だけで終わる事は嫌だったので体育の教員免許も取得できる大学を受験しました。
大学にスポーツ推薦で合格し、華のキャンパスライフが待っていると胸を躍らせました。
しかし大学時代は、殆ど坊主、学校行事には参加をしてはいけない(野球優先)
まゆげボーボーにしないと監督に殴られる。
授業には野球の練習着で参加する。
オフは年末年始の2週間のみ。
(早稲田や慶応に行った高校の同期は春と秋のリーグ戦が終わると、休みがあり母校や地元へ帰っておりました)
ケガにも悩まされました。
1年目のオフシーズンに人生初の大きなケガで手術をする事に。
しかもリハビリ期間は2か月で、すぐオープン戦。。。。
3年生の時は、ぎっくり腰と太ももの肉離れ。。。
ケガと戦った4年間でした。。。
でも、痛いとは言えない環境でした(監督の絶対王政的な。)
地方リーグのため大学内で野球部の知名度は低く、高校野球の様な応援はほとんど無し、
正直、大学内で野球部は浮いた存在でした。
最後のリーグ戦(4年の秋)が終わり、同期のメンバーやライバルチームのメンバーが就職先(実業団やプロのチーム)が決まって行きます。
私はどこからも誘いがありませんでした。
私の競技生活としての野球人生が静かに終わりました。
今、振り返ってみると、競技スポーツとしての野球は本当に厳しかったです。
今、お金を10億円貰えるとしても、あの大学時代をもう一度したくはありません。
しかし大学時代は高校時代の様にユニホームをあえて汚す必要はありませんでした。(笑)レギュラーとして試合に出させてもらっていたからです。
実際、とても小さくではありますが取材をして頂き、新聞やインターネットに自分が写った際、親が喜んで切り取っていたのを覚えてます。
ある地方での選抜メンバーに選ばれた際は、お赤飯が出てきました。(笑)
高校時代の試合用ユニホームと大学時代の試合用ユニホームを見比べると、同じ白色には到底見えなかったです。
親が「あんたったらしょうがないわねー!!」
とユニホームを嬉しそうに手洗いしていた事もありました。
両親には感謝しても、感謝しきれません。
話は逸れてしまいましたが、本題のコンプレックスの形成過程です。
高校時代には部活動で圧倒的な「差」とそれに付随する高校生活の「差」
exクラスでの自分の立ち位置、モテ具合等。。。
大学時代では私生活でコンプレックスができました。
特に容姿です。
私は教育学部の体育コースに所属しておりました。
体育コースは全員で約30人で男20:女10位の比率でした。
皆、各競技のスポーツ推薦で入学しておりました。
バスケ・陸上・サッカー・バレー等。
私が仲良くしていた友人は5人くらいでした。
これが皆イケメン。本当にイケメン。
男の私でもイケメンと分かる程でした。
私にとって一年に一度有るか無いかの合コンも女の子は友人ばかりに話が行く。
(私はもちろん地蔵でした。)
大学時代に片思いをしていた女の子から友人とのキューピットをお願いされる始末。
友達と飲みに行った際には僕の不細工顔を皆がイジる。。。
飲み会の場の雰囲気を壊したくないのでそのままイジられ役をずっとしていました。
しかし、悔しい気持ちはずっと溜まって行きました。
大学を卒業する際に私は決意しました。
改善できるところはどんな事をしても改善しようと。
ここから私の人生は変わるのでした。
大学4年生の秋に野球部を引退すると、翌年の3月(卒業)まで、私には自由な時間ができました。
その間、私は人生で初めて野球以外の事を考える時間が沢山できました。
そのほとんどを占めたのが「モテたい」や「彼女がほしい」でした。
今まで野球しかしてこなかった私は「女性」という生き物が分かりませんでした。
今でもですが・・・笑 (一応大学2年の時に童貞は卒業しました。笑)
卒業までの間、女性と接する機会が増え、私には様々なコンプレックスができました。
具体的に申しますと、下記の内容です。
・容姿が悪い (顔がかっこ悪い)
イケメンの友達が多かった為、劣等感が常にありました。
・体毛が濃い(特に足、少し胸も)
女の子に「チクチクする!!」と言われた事が多々あります。
・体臭がする (若干のわきが?)
親がワキガ?の為
・包茎である
友達はみんなサイズも大きく、ズル剥けでした。
私?・・・AカップかBカップくらいの火星でした。笑
上記のコンプレックスを常に抱いたキャンパスライフでした。
上記のコンプレックスに対し優先順位を付け、解消する方法と時期を下記の内容で考えて実行しようと思いました。
①容姿が悪い。(顔がかっこ悪い)
典型的な一重まぶたの為、二重にする。
日時は大学卒業と入社式の間。
②包茎である。
包茎の手術。
就職後は1人暮らしの為、いつでも手術可能だが療養の時期が必要。就職1年目のお盆休みに遂行。
③体毛が濃い(特に足、少し胸も)
脱毛サロンに通う。
就職2年目のお盆休みから遂行中(通院中)
④体臭がする。(若干のわきが?)
模索中。
【結果】
①顔スペックが、下の下→下の中になりました。
その他、上の逆まつ毛が治るという特典付き。
しかし、地元、大学の友人に会いづらくなった。(むしろ会っていない)
家族バレ、今でも少し気まずい。。。
コスト、代償は大きいですが後悔はしておりません。
②常に剥けるようになりました。
縫い跡が少し残っております。(療養中はオナニーは厳禁でしたが、してしまった事が原因かも。。。)
女の子とベットインした時に剥く作業が無くなりました。
少し、自信を持てました(笑)
後悔はしておりません。
③現在通院中ですが経過は良好です。
しかし、半ズボンをはく事ができない(つるつるの肌から生えかけのすね毛が見えて、見栄えが悪い為)
半年で殆ど毛は無くなるとのことです。
元々、つるつるを目指していた訳ではないので目標は達成できそうです。
上記の結果となりました。
親から授かったこの体にメスを入れることに大分、抵抗はありました。
しかし、それ以上の劣等感や、負い目を感じておりましたので後悔はしておりません。
コンプレックスを全て解消できたとは思っておりませんが、少しは良くなったと思っております。
お気軽にご意見、ご感想を頂ければと存じます。
歯列矯正のインビザラインを始めたよ!!
こんにちは。Sluggerです。
今日でインビザラインを始めてから3週目になりました。始めてから歯の動きに関して特に変わったと言う実感はありません。
本日のお題
今日は歯医者さんで上のアタッチメントを付けてきました。と言う事で今後は本格的に上の歯も下の歯も動いていくのかな~と思います。
また、3週目に入ったと言う事でインビザラインを始めてから感じた事を何個か説明していこうと思います!
感じたこと
■IPR後の血の量に驚く
「IPR」と言うのは歯列矯正で歯を動かすために行う歯と歯の隙間を開ける作業です。
歯と歯の隙間を開ける事により歯が動いてくれるスペースを作ります。
ただ、このIPRと言う作業が終わった後に家に帰ってから歯磨きをして口をゆすぐと。。。何じゃこりゃー!!と言う感じになります。血の量が半端ないです!!
■間食が減る
マウスピースを外して食事をする、コーヒーを飲むと歯磨きをしなければなりません。物凄くめんどくさいので間食は食べなくなりました。
■ご飯が飲み物に変わった。
歯列矯正を通して歯が動きます。それに伴って噛み合わせもずれてきます。と言う事で食事が上手く取れなくなってしましました。。。食事の際に噛んでも噛み切れなくなってしまいました。と言う事で無理矢理飲み込んでしまいます。。。
まとめ
と言う事で今日は今までのまとめと今日してきたことを報告しました。
今日は3週間分のマウスピースをもらいましたので今から三週間は歯医者に行く必要はありません。3週間後はまた歯医者に行ってIPRを行う予定です。
その後は一旦日本に帰る予定です!
それではまた!!
Why高校野球ピーポー!!
Why高校野球ピーポー!!
いやー。。。急にこんなおこがましい事をいってしまいすみません。Sluggerです。お久しぶりです。今は、オーストラリアに住んでますww
今度、日本に帰ろうと思っているので是非、構ってください!!
と言う事で今は海外に住んでいるんですけれども、日本の高校野球についてフィリピン人の知り合いから聞かれた際に色々と高校野球について考える機会がありました。
そんな時に「今の僕が主観的に考えて」の高校野球について「何で」って思える所が沢山ありましたので今日は記録に残そうと思います。批判をしているわけではありません。私の疑問ですww
本日のお題
よく色んな高校で「うちの高校の目標は社会にでて恥ずかしくない様な人間を形成するための人間形成野球」とか「人間力野球」言っているけど一体どうなんでしょうか?
そう言った目標がある事はすごく良いと思うんですが、その目標に対して、高校野球の現場で行われている事は果たして正しい指導方法をしているのか?指導方針は間違っていないのか?と言う事を考えてみようと思います。私の実体験も踏まえて。
人間形成野球って言うのは、、、野球を通して社会に出ても恥ずかしくない様な人間の形成をするって言う事ですよね?違いますか?もし違ったらなんでしょう?異論は認めますww
「社会に出ても恥ずかしくない人間」の「社会」って言うのは何でしょうか?大人社会。。。としようと思います。多分、合ってますよね?。。。。異論は認めます!
ちなみにその「大人社会」を経験している高校野球の指導者の方はどれくらいいるのでしょうか?社会人の実業団野球とか大学野球とか野球社会の中での大人社会の経験者は沢山いると思います。じゃあ、野球部の卒業生の大半が将来行くであろうサラリーマン社会での大人社会を経験している先生はどれくらいいますでしょうか?すみません。。。。分かりません。。。。
「社会にでても恥ずかしくないような人間形成」
社会で通用する人間とは???色々と定義がありそうですので割愛!
特に高校野球経験者の方に伺いたいです。今まで自分がいた高校の指導者の方で「人間形成野球」を掲げられていた方。その指導者の方は「大人の社会で生きていく上で必要な人間の形成をこの部活では行いたい」「皆にはこんな人物像になってほしい」「そのためにはこういったスキルとか人間性を付けて欲しい」「それを実現するためにこういった指導方法やルールを設けている」と言った事を言う指導者の方はいましたでしょうか?どう思いますか?
私が今まで出会った色んな強豪校にある謎のルール、、、あれは社会で生きていく上で必要なのでしょうか?
僕の友人の通っていた強豪校の話ですが
例えば
「新入生はミズノプロを使ってはいけない」と言ったルールがあると聞いたことがあります。(ミズプロ又はミップはミズノの中で最も高い商品)
これを社会人に例えてみると・・・
「新入社員はTUMIのバックを使ってはいけない」とか「リーガルの靴を履いてはいけない」的な感じになると言う事でしょうか?ww
Why高校野球ピーポー!!
年上の人を敬う為に道具まで変えないといけないのでしょうか?
体罰、暴力についても、大人社会で体罰や暴力が必要な時ってどんな時でしょうか?
坊主頭についても大人社会で生きていく上で必要でしょうか?もし、「社会で生きていく上で必要な人間形成野球」を掲げている指導者の方が「大人の社会で生きていく上で坊主が必要」と考えているなら必要かもしれません。
ちなみに、私の時は高校1年生は「奴隷」2年生は「平民」3年生は「神様」と言われておりました。そんな私の高校が掲げていたのが「人間形成野球」でしたww
一方で「気持ちの良い挨拶が出来る人間にしたい」、「きびきびとした行動」「整理整頓」等々は大人社会でも活きると思います。と言うか私の経験上凄く良いアドバンテージです。少し過剰なところもありますが。
ただ、何となく今の自分の視点から当時の実体験を振り返ってみてふと思ったんです。人間形成野球を掲げているなら当時の私の指導者の方からの私への指導方法は正しかったのかなぁ。。。と
あww僕はベンチにも入れていない万年補欠だったww
シドニー現地のツアーガイドとして働いていく
こんにちは。Sluggerです。本当にお久しぶりです(笑)
今、何をしているかと言うとオーストラリアのシドニーでツアーガイドをしております。将来自分で観光業に携わる会社を立ち上げたいと考えており、その為には自分で経験しなければいけないと思って今まで全く関わりの無かった観光業に飛び込んでおり日々苦戦しております。。。
■観光業に携わって感じている事
実際に飛び込んでみると色々と感じる事がありました。個人的にツアーガイドと言うのはお客様に対して「お客様の知らないような情報の提供」「楽しませる」「おもてなしをする」等が求められていると思っていたのですが、今、観光業の中でツアーガイドに求められているのは「お客様からクレームをもらわない事」が最も大切な仕事内容となっております。私が研修を受けていた際にお客様のスーツケースを持とうとした時、先輩社員に「持たなくても良い。持ってそのスーツケースに傷が付いたら誰が責任をとるの?」との事。こんな感じで仕事をするのかと少しショックを受けました。
■自分がなりたいツアーガイド
先程も言いましたが現代型?のツアーガイドは無駄なことをせず、お客様を楽しませるというよりも自分の求められた事をひたすら業務的に行うツアーガイドと言うのが観光業界では求められていると感じました。個人的にはそんな事をするために観光業に関わろうと思った訳ではないので少し残念でした。本来はその土地の良い文化や建物、観光客の人が知らないようなことを伝え、お客様を楽しませるのがツアーガイドだと思いますし私が起業したらそうありたいと思います。そんなロボットみたいな人がツアーガイドをしても確かにクレームは来ないかもしれないですがお客様が楽しいと思えるかは別だと感じました。
■お客様参加型のツアー
ツアーと言うのはガイドが一方的に色々な事をするだけではなく、お客様にも参加して頂いて成り立つものだと感じました。今のツアーガイドはお客様に対して(悪い意味で)気を使いすぎなきがします。クレームを恐れすぎて萎縮してしまっていると感じました。求められていること以外は自分からお客様に何かをしようとしないし、もししたとしてもリスクしかないと感じている人ばかりだと感じてます。個人的にはツアーを通してもっとお客様に「こんなことを知ってほしい」とか「こうすればもっと楽しめるのに」と言った事をお客様に体感、体験してほしいと感じてます。そこにはお客様への気遣い等が必要かもしれませんがクレームを恐れるからってお客様に全てを見せなかったり、必要なこと以外何もしないのは少しちがうんじゃないかなぁって事を感じました。
■ミスは出やすい
この考えは甘いかもしれませんが、一生懸命お客様に対して観光地の良い所や体験等積極的に見せていたら少しのミスは出てくると思います。他の仕事と違って飛行機の時間もずれるし、天候も予測できない。道路の状況だって常に変化してしまっているのでミスは起こりやすいと思う。その時に大切なのが「お客様にどうやって接しているか?」だと感じました。
■だから僕は観光業界を考えてます
そういった事もあって僕は観光業界に携わりたいと更に感じてます。逆にチャンスではないのかなぁとも思いました。お客様は大切にしないといけないですけどあまりにも気を使い過ぎて縮こまった接し方をするのは間違っていると感じました。もし、観光業を始める機会があればお客様に対する対応の仕方接し方を変えようと思います。
但し、今は僕はまだまだ観光業界に携わらせてもらってからまだ時間が短いです。自分のしたい事は自分で事業を始めてからやってみようと思います。僕は今会社に雇って頂いているので言われたことをまずは守ってしっかりと勉強をして基礎を身に着けてから自分で始めてみようと思います。目標は2018年10月!!
フィリピン旅行 プエルトプリンセサ
こんにちは。Sluggerです。だいぶ記事の更新が遅くなりました。。。申し訳ございません。
それではフィリピン旅行最終章になります(^^♪
エルニドにて2日間遊び、翌日はプエルトプリンセサに向かいます。エルニドからプエルトプリンセサへ行く方法はVANの一択だと思います。移動時間は約6時間。(エルニドのガイドさん曰くドライバーによってはぶっ飛ばせば3時間で到着するらしい)
移動日当日、朝にいつものエルニドベーカリーにて朝食を購入(確か70ペソくらい)。VANの中でパンを食べる。また、VANの中は冷える時があるので気を付けてくださいね。
プエルトプリンセサに到着後、昼ご飯を食べていなかったためお昼?夜?ご飯を食べることに。有名なシーフードのレストラン。店名は「Badjao Seafront Restaurant」と言う店名だったと思います。グーグルでの評価も良く、店内も混んでました。超激安貧乏旅行をする我々には少し値段は高め。。。
入り口はこんな感じ。
入り口に入ると橋?を渡ります。両脇にマングローブがあって雰囲気も良いです。
店内はこんな感じ。
彼女はレモンソースのチキン、私はミックスシーフードを注文。
サンセットの時間になるととてもきれいな夕日が見れます。
味としてはそこそこ美味しかったです(少し上から目線笑)但し、値段が私たちにとって少し高め(確か2人で2000円位?)に感じたので食べる量は少なめにして私たちはフィリピンの庶民レストラン「Mang Inasal (マンイナサル)」へ。
この値段を見ると安心します。と言っても私はこれでも少し高く感じてしまいますが。。。
お互いチキンのセットを注文。どんだけ食べるんだって感じですよね。
更に彼女はハロハロを注文。学校の先生に「マンイナサルのハロハロは美味しい」と言われていたので注文したとの事。これだけで100ペソです。高い。。。その日はゆっくりと部屋で過ごしました。(結局何もできず)
プエルトプリンセサ2日目、朝食はホテルで食べる。メニューにあった朝食メニュー(僕はハワイアンハンバーグ、彼女はハンバーグ)を食べる。そんなに美味しくなかったです。。。
朝食を終えた後、市内観光のオプショナルツアーに予約をしました。予定の時間まで時間があったので気になっていた戦争記念館?フィリピン名では「Palawan Special Battalian ww-2 Memorial Museum」に行ってきました。トライシクルの運転手と交渉をして往復で130ペソ。
目的地に到着し、受付にて国籍と名前を書いて50ペソを払う。国籍を書いている時に、受付の人に「お前日本人か?」と言われ、「そうだよ」と言うとやたらテンションが上がっていた。こういった施設には日本人は殆ど来ないらしい(そりゃそうだよなぁ。。。)何やら受付の人が施設の奥にいる別の人を呼んできて色んなことを聞いてきた。確かにこの施設は日本の特集ブースの割合が多く配置されている。職員さんたちは日本のものが多いので「何故こういったものがあるのか?」とかどういう歴史があってこういったものが作られたのか?何て読むのか?昔から知りたかったとの事。なのでお客さんとしてきたはずなのに館内の職員さんに説明をさせられる羽目に。。。
入り口を入ってすぐに大砲があります。
フィリピンで活躍?した日本兵の名前。
三菱製のゼロ戦こと零式。
日本の戦艦?で使われていたものらしい。この画像では読めないのですが「NIPPON」という文字が書いてあります。職員さんたちは今までこの物は「NIPPON」と言う会社が作っていたと思っていたらしい。。。そんなことも分からないのか。。。そうだよな。
日本軍で使われていた武器。日本刀?がいかにもって感じですね。この日本刀についても「何で日本兵は日本も日本刀を持っているのか?」と聞かれて答えられませんでした。
日本のブースです。なんかスゲー。実際に戦争で切られていた軍の服もあります。もう、このブースに来たら職員さんから質問の嵐。ひどかった。。。俺はお客だぞと一度言いたくなりました(笑)
戦時中に掛かれた寄せ書きの国旗。この寄せ書き一つ一つの説明をしていたんだけど、読めないのもあってほんと苦労しました。。。ここ70年?位の事なのにこんなにも言葉って変わるんだという事を実感しました。
と言うかこの文章を一つ一つ説明しているととても悲しい気持ちになって最終的には職員さんと僕で泣きそうになってました。
これは結構有名な言葉なので職員さんでもわかってました(笑)
アメリカブース。日本と比べるとアメリカの方が兵器がこの時点で進んでいる感じがしますね。
アメリカブース。続き。
当時のドイツってこんな国旗?だったんですね。全然知らなかったです。
記念撮影をとる場所がありました。。。なんか少し悲しい。
ホテルに戻った後、ちょうど観光バスが来たので観光をすることに。最初の目的地はメインでもある「クロコダイルファーム」です。
赤ちゃんのクロコダイルから順番に見ていきます。
写真で見るとあれかもしれませんが、実際に見てみると結構やばいですよ。。。
親のクロコダイルなんて10m以上の大きさです。ほんと、ビビります。
大人クロコダイルです。橋の上と分かってても怖いです。
クロコダイルファームの後はベーカリーズヒルへ。
何故か桃太郎。。。
全然似ていない白雪姫?と言うか誰?(笑)
暑かったのでシェイクを買いました。ここのシェイクは薄めているせいか少し水の味が強かったです。。。
ベーカリーズヒルの中で一番有名なパン「hopiang?」を購入。
中に白あんこが入っている感じがしました。味としては結構おいしかったです。その後はプエルトプリンセサのパブリックマーケットへ行きお土産を購入し、ホテルに戻りました。ホテルに戻った後、夜は蛍の鑑賞ツアーを予定していたので蛍鑑賞ツアーへ行きました。
途中で海上レストランでディナータイム。
ビュッフェみたいな感じで美味しかったです。
その後は蛍を見るために再び船に乗ります。船で目的地近くまで来たところで更に小さい船に乗り換えました。その後は蛍の鑑賞を行いました。写真に上手く映すことはできなかったので載せられないのが残念ですが凄く綺麗でした。お客さんの中にはきれいすぎて「これは作り物なんじゃないの?」と言うお客さんまで出てきてました。本当に疑う位綺麗でした。(^^)/蛍鑑賞、おすすめです。そのままその日は就寝。
翌日は前日より予約していた世界遺産、「アンダーグラウンドリバー」です。当日はバスが迎えにきて移動。途中でお腹が減ったのでポテトチップスを購入しました。
さぁ、到着してきました!!
世界遺産のマーク。
このあたりの海も結構綺麗でした。船に乗り換えて移動です。
船が結構揺れてしまい酔っているお客さんもいました。
約20分位船に揺られてとある島に到着しました。到着し、団体で移動します。
目的地に到着し、順番を待ちます。順番を待っている際に中国人の団体が来て記念撮影をとっておりました。
世界遺産のマーク。
そろそろ順番がやってきました!
順番が来るとあんな感じで船に乗ります。
各国の言語が聞こえるような音声ガイダンス付きです。
あの中に入っていきます。
さぁ、出発です。
穴が近づいてきます。
中はすごく神秘的な世界でした。
写真では上手く伝えられません。。。
凄く広い空間もありました。
約一時間?位だったと思います。すごく楽しめました。
ツアーを終えるとお昼ご飯。すごくおいしかったのですが、この食事が当たってしまったみたいでこの後2週間下痢が続きました(´;ω;`)そして、そのままプエルトプリンセサに戻り、韓国子を送る。
翌日、体調不良と言う理由もあり、マニラ経由で日本に帰ることに。本当はこの後LCCでセブに一人で行き、もう一遊びする予定でしたが。。。(笑)
プエルトプリンセサ空港からマニラまでの機内食?
マニラ空港では少し時間があったので両替をすることに。
マニラでもGrabがありました。基本的にはUberが多いのですが意外にもここで使えました。
マニラの両替で有名なEDSEN。確かに日本人の数多かったです。
両替をお願いすると札を渡されました。
その後、タクシーで空港まで帰る。やはりマニラ(都会は嫌だ。。。)
マニラから日本へ帰る時の機内食。美味しかったです。
日本が近づいてきました。
久し振りの日本。やっぱり素敵。最高。日本に帰ってきて湯舟に使って、スシローに寿司を食べに行って。本当に日本はすごく素敵な場所だと感じました。また、このりゅがく中に感じたことや学んだこと等も今後情報提供していけたらと感じております。今後ともよろしくお願いいたします。
フィリピン旅行 エルニド
こんにちは。Sluggerです。
フィリピン旅行の続きです。コロン島からエルニドへ移るにはフェリーしかありません。事前に島にある観光案内所にてフェリーの予約をして当日にチケットを見せます。私達の場合、前日に予約をしに行ったのですが台風の影響の為「明日にならないとわからない」と買えませんでした。
当日、直接フェリーターミナルへいった所「何でチケットを持っていないのに来たんだ?」と少し怒られました。他の観光客の人は朝早くに当日券で予約したのかなぁ。。。結局、最後の最後まで待たされて、何とかフェリーに乗る事が出来ました。料金は1760ペソ。
待ち時間の途中、お腹が減ったのでお腹が減ったのでバナナチップスを食べる。
約3時間船に乗ってエルニドに到着。今回のホテルは少し奮発して二人で1泊約900ペソの場所へ(約1800円)
またしても便座は無し。。。やはりもう少し値段を上げないとだめなのか。。。
ベットは普通でした。また、ホテルの人曰くフリーWi-Fiが使え津との事でしたが殆ど使えませんでした。部屋にも電波は届かず。。。本日は朝から全く何も食べていなかったので食事をとることに。ホテルの近くにある場所。
確か、300ペソくらいだったと思います。また、ここには日本料理店がまとまっており大阪屋?と言うラーメン屋とか寿司屋がありました。日本人オーナーさんの元地元や観光客に人気みたいでした。
帰り道の途中、アイスクリームを買いました。フリーWi-Fiがあるとの事でしたが使えませんでした。。。パラワンのフリーWi-Fi事情、、、悪すぎ。
その後ホテルへ戻り、荷物の片づけ等をこなす。夜ご飯の時間になったので海岸沿いのレストランへ行く。
やっと今回初めてお酒を飲むことに成功。韓国子は旅行の際には全くお酒を飲まないとの事。(普段めちゃくちゃ飲む癖に)ましてや私との旅行と言う事もあり、頑なに拒絶してました。また、この時もビール瓶1本のみ。。。この日もゲトれず。
翌日、個人的には予定を入れたかったのだが彼女の予防で全く予定を入れない休養日。パラワンに観光に来ているのに全く予定を入れない休養日、、、何て贅沢なんだ。私の性格上こういうのは「せっかく観光に来たんだからもっと何かしないと」と思ってしまう。朝、遅めに起きてビーチに朝ご飯を食べに行く。
朝食はブリトー。確か300ペソくらい。味はあまり好きじゃなかった。その後、ホテルへ戻り、二人でボーっとする。
エルニドの観光主に4種類?ある。
ツアーA~Dまでが基本的に分かれている。コロンの時と殆ど同じような感じだ。エルニドと言えばツアー「A」が主流らしく、ほとんどの人がこのツアーを体験してから他のツアーを体験するとの事。翌日はツアーAに行くことに決めた。と言う事で本日は自由に散策、エルニド島にある有名なビーチへ向かう事に。VANを借りると600ペソ?かかるのでバイクをレンタルして500ペソで45分程2ケツして向かう事に。
出発前に地元の人が行くレストラン?へ。コスパは結構良かったです。
個人的には結構好きな味だったのですが彼女はお気に召さなかったみたい。。。このお店を出た後に「ローカルレストランは避けたい」と言われました(笑)食後に借りたバイクに乗りナクパンビーチへレッツゴー!バイクは基本的に1日500ペソなのですがその場所でツアーも予約すると1日半くらいにしてくれる場所もあります。
ちなみに保険とかそういう話は全くせずにただお金を払って借りるというシンプルなシステム。(事故したりしたら全部自己責任)
約40分程運転してナクパン(NACPAN)ビーチへ到着。
綺麗な海でした。韓国子は全く泳げないので殆ど海では泳いでおりませんでした。(てかそもそも何で来たんだよ)韓国子曰く、海を楽しむというよりも「パラワンに行った」と言う事がステータスになるとの事。韓国のポジショニング文化は根深い。
ナクパンビーチを終え、ホテルに戻り、シャワーを浴びた後、夜ご飯を食べに有名なサンセットビーチ&レストランへ。この場所は結構人気ですので早めに行って場所取りをしておくことが大切だと感じました。
結構わかりづらい場所にありますので注意。
このトンネルも奥に行きます。お店が見えてきたらゴールです。店名は確か「LA PLAGE Sunset Bar and Restaurant」エルエーロッジサンセットバーアンドレストランです。とリプアドバイザー等でも特集されてました。
早い時間に行くと座りながら日の入りを見る事が出来ます。更にビールを飲みながらなんて。。。最高です。
韓国子はまたしてもお酒を断ったのでマンゴージュースに。
毎日とれるものが変わるのでメニューも毎日変えているとの事。飲食関係の仕事をしていた私からして信じられませんでした。
二人で1530ペソ。咳があまりにもひどかったので帰り道にコンビニへ寄りました。
コンビニで咳止めの薬を購入。一応何とか症状は治まりました。
翌日、本日はエルニドツアーAに行きます。朝ご飯を地元で有名なEL NIDO BAKERYエルニドベーカリーで購入。パン1つ5ペソ~(10円位)安すぎる。
さぁ、出発です。こういったツアーの際には専用?の靴を準備する必要があります。レンタルで100ペソ。私の場合は勿体ないと思ったのでクロックスを使用。しかし最終的にクロックスは壊れてしまいました。。。(100ペソなんてケチらなければよかった)
ライフジャケットが新しくてモチベーション上がりました。こういったツアーのライフジャケットっていつも臭いんですよねぇ。。。
最初の目的地は「シークレットビーチ?orシークレットラグーン」だったと思います。人が何人も同時に入れないという意味から来たみたい。小さな穴を抜けていきます。
写真ではあまりうまく伝わりませんが良かったですよ(^^)/さぁ次の場所へ。
水が綺麗です。
確か、2か所目はシュノーケリングスポットでした。シュノーケルギアをレンタルしてみんなで楽しみました。水が綺麗で見やすかったです。韓国子に水泳を教えたせいか彼女も楽しんでくれました。
シュノーケルを終えた後、みんなで船の上でランチを食べました。コロンの時に食べたランチスタイルと似ていて韓国子は少し不機嫌に。多分こういったメニューって意外と決まっているんでしょう。その後は「スモール?ビッグラグーン?」へ
この場所が良く広告とかでも出てくる場所だと思います。
綺麗です。幻想的な景色でした。
ガイドさんに突然「気をつけろ」と言われたのですが。見てみるとウミヘビが普通にいました。ガイドさん曰く毒をもっているから絶対に近づくなとの事。毒をもった海蛇がいるってやばくないですか(笑)?
その後は最後の目的地、セブンコマンドスビーチ?へ。
コースAを満喫しました。とても楽しかったです。まずはホテルに戻って休憩。その後、夜のエルニドへ。
ブリトーショップ
僕は値段が高くてやめたのですが韓国子が食べたいとの事で購入してました。
喉が渇いたのでフルーツジュースを購入。美味しかったです。個人的にはフィリピン=フルーツです。翌日は朝8時からのVANでプエルトプリンセサに向かうので速めに就寝。
翌日、トライシクルに乗り、VANの集合場所へ。
この車に乗ります。
次回は最後の目的地プエルトプリンセサです