【固定記事】 プロフィール② 私のちょっと変わった生い立ちについて (コンプレックスの形成過程と解決方法について)
先日ブログに記述したように、私はコンプレックスがあります。
私は3歳より野球をしておりました。
小学校、中学校共に順風満帆に過ごしてきました。(チームの中心選手的な存在)
高校時代は甲子園の常連校にスポーツ推薦で入学し、華の高校野球ライフが待っていと思っておりました。
しかし、高校三年間での公式戦の出場機会は・・・無しです。orz
人生で初めての挫折を味わいました。
高校野球というものは注目されるが故に、普段の学校生活にも影響しました。
地元の友達、学校のクラスで野球の話をする時に、
「俺、ベンチ外(スタンド)だよ」と言った時の気まずさたるや。。。
かたや、レギュラーの選手のオーラと言うか自信というか、全てが羨ましかったです。
大名行列みたいな。。。女の子の食いつき具合も全然違います。
私の高校では3月には最終学年のベンチ入りメンバーが決まります。
私は春も待たずに戦力外通告を受けた訳です。
練習はもちろんボール拾いと声出しのみ。
練習着はもちろんピカピカです。
家に帰り、きれいな練習着を親に出さないよう、帰宅前に公園であえて汚してから帰っていた事も多々ありました。(笑)
申し訳ない気持ちで一杯でした(笑)
毎日朝の5時前に起きて、お弁当を作って、汚れた練習着を洗濯して。。。
夜はマッサージしてもらったこともありました。
高校野球(学校生活含む)では悔しい思い出しか残っておりません。
このままでは終われないと思い、大学受験を目指します。
大学でも野球を続け、卒業後は野球選手(実業団も含む)になり、皆を見返してやりたいという気持ちでいっぱいでした。
野球だけで終わる事は嫌だったので体育の教員免許も取得できる大学を受験しました。
大学にスポーツ推薦で合格し、華のキャンパスライフが待っていると胸を躍らせました。
しかし大学時代は、殆ど坊主、学校行事には参加をしてはいけない(野球優先)
まゆげボーボーにしないと監督に殴られる。
授業には野球の練習着で参加する。
オフは年末年始の2週間のみ。
(早稲田や慶応に行った高校の同期は春と秋のリーグ戦が終わると、休みがあり母校や地元へ帰っておりました)
ケガにも悩まされました。
1年目のオフシーズンに人生初の大きなケガで手術をする事に。
しかもリハビリ期間は2か月で、すぐオープン戦。。。。
3年生の時は、ぎっくり腰と太ももの肉離れ。。。
ケガと戦った4年間でした。。。
でも、痛いとは言えない環境でした(監督の絶対王政的な。)
地方リーグのため大学内で野球部の知名度は低く、高校野球の様な応援はほとんど無し、
正直、大学内で野球部は浮いた存在でした。
最後のリーグ戦(4年の秋)が終わり、同期のメンバーやライバルチームのメンバーが就職先(実業団やプロのチーム)が決まって行きます。
私はどこからも誘いがありませんでした。
私の競技生活としての野球人生が静かに終わりました。
今、振り返ってみると、競技スポーツとしての野球は本当に厳しかったです。
今、お金を10億円貰えるとしても、あの大学時代をもう一度したくはありません。
しかし大学時代は高校時代の様にユニホームをあえて汚す必要はありませんでした。(笑)レギュラーとして試合に出させてもらっていたからです。
実際、とても小さくではありますが取材をして頂き、新聞やインターネットに自分が写った際、親が喜んで切り取っていたのを覚えてます。
ある地方での選抜メンバーに選ばれた際は、お赤飯が出てきました。(笑)
高校時代の試合用ユニホームと大学時代の試合用ユニホームを見比べると、同じ白色には到底見えなかったです。
親が「あんたったらしょうがないわねー!!」
とユニホームを嬉しそうに手洗いしていた事もありました。
両親には感謝しても、感謝しきれません。
話は逸れてしまいましたが、本題のコンプレックスの形成過程です。
高校時代には部活動で圧倒的な「差」とそれに付随する高校生活の「差」
exクラスでの自分の立ち位置、モテ具合等。。。
大学時代では私生活でコンプレックスができました。
特に容姿です。
私は教育学部の体育コースに所属しておりました。
体育コースは全員で約30人で男20:女10位の比率でした。
皆、各競技のスポーツ推薦で入学しておりました。
バスケ・陸上・サッカー・バレー等。
私が仲良くしていた友人は5人くらいでした。
これが皆イケメン。本当にイケメン。
男の私でもイケメンと分かる程でした。
私にとって一年に一度有るか無いかの合コンも女の子は友人ばかりに話が行く。
(私はもちろん地蔵でした。)
大学時代に片思いをしていた女の子から友人とのキューピットをお願いされる始末。
友達と飲みに行った際には僕の不細工顔を皆がイジる。。。
飲み会の場の雰囲気を壊したくないのでそのままイジられ役をずっとしていました。
しかし、悔しい気持ちはずっと溜まって行きました。
大学を卒業する際に私は決意しました。
改善できるところはどんな事をしても改善しようと。
ここから私の人生は変わるのでした。
大学4年生の秋に野球部を引退すると、翌年の3月(卒業)まで、私には自由な時間ができました。
その間、私は人生で初めて野球以外の事を考える時間が沢山できました。
そのほとんどを占めたのが「モテたい」や「彼女がほしい」でした。
今まで野球しかしてこなかった私は「女性」という生き物が分かりませんでした。
今でもですが・・・笑 (一応大学2年の時に童貞は卒業しました。笑)
卒業までの間、女性と接する機会が増え、私には様々なコンプレックスができました。
具体的に申しますと、下記の内容です。
・容姿が悪い (顔がかっこ悪い)
イケメンの友達が多かった為、劣等感が常にありました。
・体毛が濃い(特に足、少し胸も)
女の子に「チクチクする!!」と言われた事が多々あります。
・体臭がする (若干のわきが?)
親がワキガ?の為
・包茎である
友達はみんなサイズも大きく、ズル剥けでした。
私?・・・AカップかBカップくらいの火星でした。笑
上記のコンプレックスを常に抱いたキャンパスライフでした。
上記のコンプレックスに対し優先順位を付け、解消する方法と時期を下記の内容で考えて実行しようと思いました。
①容姿が悪い。(顔がかっこ悪い)
典型的な一重まぶたの為、二重にする。
日時は大学卒業と入社式の間。
②包茎である。
包茎の手術。
就職後は1人暮らしの為、いつでも手術可能だが療養の時期が必要。就職1年目のお盆休みに遂行。
③体毛が濃い(特に足、少し胸も)
脱毛サロンに通う。
就職2年目のお盆休みから遂行中(通院中)
④体臭がする。(若干のわきが?)
模索中。
【結果】
①顔スペックが、下の下→下の中になりました。
その他、上の逆まつ毛が治るという特典付き。
しかし、地元、大学の友人に会いづらくなった。(むしろ会っていない)
家族バレ、今でも少し気まずい。。。
コスト、代償は大きいですが後悔はしておりません。
②常に剥けるようになりました。
縫い跡が少し残っております。(療養中はオナニーは厳禁でしたが、してしまった事が原因かも。。。)
女の子とベットインした時に剥く作業が無くなりました。
少し、自信を持てました(笑)
後悔はしておりません。
③現在通院中ですが経過は良好です。
しかし、半ズボンをはく事ができない(つるつるの肌から生えかけのすね毛が見えて、見栄えが悪い為)
半年で殆ど毛は無くなるとのことです。
元々、つるつるを目指していた訳ではないので目標は達成できそうです。
上記の結果となりました。
親から授かったこの体にメスを入れることに大分、抵抗はありました。
しかし、それ以上の劣等感や、負い目を感じておりましたので後悔はしておりません。
コンプレックスを全て解消できたとは思っておりませんが、少しは良くなったと思っております。
お気軽にご意見、ご感想を頂ければと存じます。